【VODで読める電子書籍】『ブッダの真理のことば・感興のことば(中村 元[翻訳])』の紹介

どもども、さむたろうです^^

動画配信サービス(VOD)で読めるおすすめの電子書籍や雑誌、漫画などを紹介しています。また、目的別にVODを選べるようにまとめた記事も載せているのでVOD選びの参考にしてくださいね^^

『法句経』の名で知られる「真理のことば」(ダンマパダ)も,併収の「感興のことば」(ウダーナヴァルガ)も,ブッダの教えを集めたもので,人間そのものへの深い反省や生活の指針が,風格ある簡潔な句に表わされている.「ウダーナヴァルガ」とは,ブッダが感興をおぼえた時,ふと口にした言葉集の意味で,初めての完訳.

 

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【文字起こし】『ブッダの真理のことば・感興のことば(中村 元[翻訳])』ブッダの真理の言葉を紹介いたしますどんな作品かと言いますと打ったら教えを集めた最も有名な経典の一つで仏教や宗教全般に興味のある方はもちろんのこと他人の言葉や態度を気にしやすい方物事が思い通りにならないと不安になったりイライラしてしまう方自分の心をコントロールし安らかな気持ちで毎日を送りたいという方にぜひ手に取っていただきたい一冊ですいやいや私は仏教徒ではないのでブッタの言葉を聞いても参考にならないと思いますもしかしたらそのように思われた方もいるかもしれませんしかしブッタの教えはもはや世界の一般教養でありまたドイツの哲学者ショーペンハウアーの思想にも多大な影響を与えたことでも知られていますさらに書店に行けば売ったら本がこのようにずらりと並んでおりいかに今を生きる人に共感され支持され続けているかが伺います今回紹介させていただくのはそんなブッタの教えの真髄が納められた最大にして最高の経典のひとつになります心の疲れが傷を癒してくれるような内容ですのでどうぞリラックスして最後まで楽しんでいただければと思いますそれでは参りましょうブッダ真理のことばさあまずはこの動画の全体像からお示しいたします始めに背景知識として打ったについて簡単に紹介しそれはと本書の内容を苦しみがついてくる人の特徴賢い人と愚かな人の違い心を整える合理的な方法という三つのテーマに沿って進めてまいりますさでは早速背景知識から見ていきましょうゴータマシッダールタ彼は紀元前5から6世紀頃インド北部になる者家族という部族国家の王子として誕生しました日本ではよくお釈迦様と呼ばれますがそこには釈迦族の聖者という尊敬の意味が込められていますシッタールダは裕福な家庭で何不自由なく育てられ王族の後継者として周囲から期待をされていましたしかし彼は少年時代から宗教的な関心が強かったためを受ける跡継ぎではなくいつかは出家をしたいと考えていたようですそんな息子の様子を心配した父親は当時16歳でやった死んだアルトのために美しい行き先を迎えさらには高級来福や食べ物などお好きなだけ与えるなどしてなんとか引き留めようとしましたシッタールダはそんな父親の心を察ししばらくその生活を受け入れていたのですがある出来事をきっかけに出家を決意することになります遠出をしようと馬車に乗り宮殿の東の門をくぐったところひどくやせ細り腰が曲がった老人の姿が目に止まりました知ってあるとは思わず家来に尋ねましたあのものは何だすると家来はこう言いましたあれは老人ですどんな人間も次第に肉体が衰えあのような姿になるのでございますこの時シッタールダは初めて多いという現実を知り強いショックを受け白に戻ることにしましたそしてまた別の日に南の門から出発したところ今度は木陰で横たわりやばいに苦しんでいる人を見つけました生まれて初めて見た病人の姿に彼は驚きまた白に引き返すことにしましたそしてまた日を改めて西之門から出たところシッタールダは信じられない光景を目にしますそれは白い布で巻かれた人間の死体でしたあの頃は何だシッダールタが尋ねると家来はこう言いましたどんな人間も次第に肉体が滅びあのような姿になるのでございますオイルこと病気になること死ぬことこれら三つの現実を目の当たりにしたしてある他は人間には決して逃れられない苦しみがあることを知りそれ以降深く思い悩むようになっていきますそしてしばらくしてから再びば車に乗り宮殿の北の門をくぐったところ機の前でじっと佇んでいる人間を発見しますそして神であるとは後遺バスあの頃は乱打すると家来はこう言いますあれは出家者でございます出家者とは良き方を実践し良き清寂を実践しよう実践するものでありますこれを聞いた神であるだわけ雷にこう言いました場所を9連に戻す野田岩すぐ私も髪と髭を剃り出家をするとしようそして彼は自ら髪を切り落とし29歳にしてついに出荷となります宮殿の四つの文を通り老人病人死人出家者と出会い修行の道に進む決意をしたことからこのエピソードは四門出遊と名付けられていますしかしいったいなぜ死んだアルタはそこまで生老病死に対して深刻に悩んだのでしょうか彼は元々王族であり将来も約束されていましたそれを捨ててまで出勤するというのはなかなか理解しがたいことですここでポイントとなるのがインドに古くから伝わる輪廻という考え方ですこれは命あるものが何度も転生し人だけではなく動物なども含めた生き物に生まれ変わった理事国に入ったりするという思想や世界観のことを言います輪廻は仏教が成立する前から存在しておりその源流はバラモン教に 苦しみではなく永遠に続いていく苦しみと理解されますそこで死んだ歌はどうやったら人間は苦しみに満ちたリンネ世界から抜けられるのかと悩み考え込むようになっていたのですそして修行僧となった彼は誰の修行者たちの弟子となり瞑想法休業断食などを学びそれらを愚直に実践しましたその結果体はやせ細り目はおちくぼみ皮膚が黒く変色しその姿は下入間違われるほどであったと言いますしかしこのような過激な苦行に6年ほど費やしたものの CD R だは悟りの境地に至ることが出来ず口業に見切りをつけますそして川で沐浴をし身体を清めた後ガイアという町の菩提樹の下でじっと座禅を組むことにしましたそれから彼は極限の集中状態に入り7日目にしてついに悟りを開きます悟りを開くとはすなわちこの世の真理を会得したことを言いその境地に到達した人は通称打ったと呼ばれますでは打ったが手に入れた心理とは一体何だったのでしょうかそれがこちら次第八正道これは人間の苦悩が生まれるプロセスを分析しどのような心構えで物事を考え対処していくべきだと説いたいわゆる仏教の基本方針になりますまず注目いただきたいのが漢数字の4に諦めるという字が組み合わさった次第という言葉です諦めるという言葉には少しネガティブな印象がありますが実はこの言葉の語源は絡むすなわち真理を明らかにすることを意味しています例えば今は皆さんの心の中にどうしても達成したい願望があるとしますこの時親や世間の都合といった理不尽な理由によって断念せざるを得なくなったらどうでしょうか恨み公開口こういった負の感情が延々と湧いてきて中にはそれらに一生苦しめられる人もいるかもしれません一方その願望が達成されない理由明らかであり自分が納得した上で断念するとしたらいかがでしょうか確かにその時はひどく落ち込むかもしれませんしかし自分が納得している文悔いが残らないので次のステージに向かって一歩踏み出しやすくなりますこのように諦めるという言葉には物事の道理や真理を明らかにするという意味が含まれており実はそれほどネガティブなものではないのですでは白色具体的な内容について見ていきます次第とは打ったのと痛い四つの心理体絶対絶対状態のことを言います来たいとは生きることは本質的に苦であるという心理実態とは口の原因は煩悩であるという心理面体とは煩悩を消すことで口が消滅するという心理状態とは煩悩をなくし悟りを得るための八つの道のことを言いますまずここで押さえておきたいのが生きることは本質的に苦であるという心理についてですこれは一切皆苦とも評価円札の読経においては人間の必然的な姿と考えられています具体的にはこのように生まれることをいることやること死ぬこと人間にはこういった自分の力ではどうにもならない四つの苦しみがありそれらは敷くと呼ばれていますさらにブッタは日常経験することの多い苦しみとして愛する者と別れることに組むものと出会うこと欲しいものが手に入らないことなどの苦しみと肉体と精神が思うようにならない苦しみを加えそれを履くとしましたこれが今でもよく使われている四苦八苦という言葉の語源になりますではなぜ人間はこんなにもたくさんの苦しみを抱えているのでしょうかブッタはその原因を煩悩にあると説きます煩悩とは簡単に言えば自分自身や自分の所有物に執着してしまう迷いの心のことを言います例えば人間は必ず置いて式が訪れますにもかかわら永遠に若くて健康で美しくいたいと執着していれば歳を重ねるごとに生きることが苦しくなってしまいますそこで打ったは煩悩をなくし悟りを得るための八つの道を示しましたそれらは八正道と呼ばれ具体的には正しいものの見方正しい考え方正しい言葉正しい行い正しい生活正しい努力正しい心の在り方正しい瞑想などを実践するための修行法のことを言いますたくさんあって混乱しそうですがここで押さえておきたいのは大きく2点です一つは正しいという言葉に含まれている意味についたです結論から言えばこれは自分にとっての正しさ独りよがりの正しさのことではなく客観的かつ合理的で偏りのないただスタのことを意味しています要するに正しさとは固定されたものではないのでその時その場所に置いて何が正しいのかを客観的に見て判断しましょうというわけ とつがスッタニパータですこれらは打ったら教えを簡潔にまとめたもので人間が生きる上で重要な指針が示されています今回扱うのはダンマパダですが旦那とはパーリ語で人間の心理のこと誰だというのは言葉という意味であり一般的には真理の言葉として訳されますただ真理の言葉と聞きますと人によっては難しい内容なんじゃないかとか非現実的で雲をつかむような話なんじゃないかと少し戸惑いを覚える方もいるかもしれませんしかし本書は誰もが理解できる簡潔な言葉で書かれておりとても合理的な教えが示されていますそのため現代人の私たちが読んでもほとんど違和感なく内容がスッと頭に入ってくると思われますさというわけで背景知識は以上になりますここまでよろしいでしょうかいよいよこれから打ったの真理の言葉の中身に入っていきたいと思います一つ目のテーマは苦しみがついてくる人の特徴ですでは行きましょう心は全ての物事に先立ち手を作り出し全てを左右しますもし人が汚れた心で話し行動するならばその人には苦しみが付いてきます車輪が荷車を引く牛の足跡についていくようにあの人は私を罵ったあの人は私を傷つけたあの人は私を負かしたあの人は私から奪ったそういう思いを抱く人からは恨みはついに消えることがないでしょう憎む人が憎む人に対し裏の人が裏の人に対しどのような事をしようとも邪悪な心はそれ以上にひどいことを自分自身にするでしょう恨みは恨みによって消えるのではなく恨みを捨てることによって消え去りますこれは普遍的真理なのですはいここで食べます心は全ての物事に先立ち全てを作り出し全てを左右するとありました誰かに話す言葉も振る舞いも苦しみ恨み怒りといった感情も全て自分の心が作り出しているというわけですまた打ったはとても合理的な思考の持ち主でありあらゆる物事には必ず原因と結果があると考えていました自分の命も財産も感情もどこかの神様が与えたり降ったりするものではなく何らかの原因がその結果をもたらしていると解釈していたのですこれは因果と呼ばれる考え方で打ったら教えの中でも最も重要なものの一つになりますそして心が煩悩によって支配されているとその結果として人間は怒り恨み嫉妬といった負の感情を抱きやすくなりますではこの本のを消し去り安らかな心をもって生きるためには一体どうすれば良いのでしょうかブッタは次のように言います実際のケースされたものは無常であると明らかな知恵を持って見る時に人は苦しみから遠ざかり離れますこれこそ人が清らかになる道なのですなるほど一切の形成されたものは無常であるとありましたつまり世の中のあらゆるものは一定ではなく絶えず変化し続けているという心理を理解すれば苦しみが遠ざかり心が安らいでいくというわけですこれは諸行無常と呼ばれる心理であり物価が入滅する直前に語ったものと言われています財産にせよ時間にせよ愛情にせよ人間関係にせよそれらは永遠にその場にとどまっているものではありませんお金は使えば縁時間も年々速く進み愛する人も憎らしい人も遅かれ早かれこの世界から消えてしまいますところがこういった心理を忘れ今の状態がずっと続くと思い込んでいると何で思い通りにいかないのだと執着が生まれ生きることが余計に苦しくなってしまうのですその上で打ったわ次のように続けます私にはここがいる私には財産があるそう思って愚かなものは悩みますしかしすでに事故が自分のものではないのにどうして我が子が自分のものなのでしょうかどうして財産が自分のものなのでしょうかはいこれ止めます要するに人間というのは財産にせよ子供にせよなんでもかんでも自分の所有物だと思い込む曲がありますとけれどもこれは私のものだと言い切れるものなんてこの世には何ひとつありませんなぜならあなた自身ですらあなたのものではないからですとそのようにおっしゃっているわけですこれは諸法無我と呼ばれる心理で簡単に言えばあらゆるものはお互いに依存しあって存在しており単独で存在しているものは何もないと言う教えることを言います例えば今ここにリンゴがあるとしますこのリンゴはそれを作った農家の人がいてさらに太陽雨といった様々な自然の恵みを受けてそこに存在しているのであってりんごが自分の意志でそう では行きましょう勤めハゲ風呂は伏見稲荷怠り怠けるば死に至ります止め励む人は死ぬことがなく怠り怠ける人は死者のごとくです資料ある人は奮い立ち勤め励み自制心激流に流されない島を作ります怠り怠けている人達眠っている人たちの中で一人よく目覚めた賢者は足の速い馬が遅い馬の群れをかけるように彼らを置き去りにしますわがままで節度辛いことの恐ろしさを知り努力できる人間は心の裏色全てを燃え盛るひろより焼き尽くし前進していくものですはいこれ食べますつとめ励む人は死ぬことが楽を語り怠ける人は死者のごとくと終わりましたつまり際限なくダラダラしている状態というのはもはや死んでいる状態となりも変わらないというわけですまた人はぼーっとしている時間が長いと小さな問題を大きな問題と捉えたりどうにもならない問題をどうにかならないかと期待したり悩んだりするものですこれに対し仏陀は努力できる人間は心の憂いのすべてを燃え盛る火のように焼き尽くし前進していくといいますつまり努力する人は瑣末なことにとらわれず本当に大切なことに集中して生きているというわけですさらにブッタは次のように続けます自分は愚か者であると自覚する者はすなわち権者であり自分は賢者であるとうぬぼれるものはまさしく愚か者です多く物事を知りそれを解くものが賢者なのではなく心穏やかに恨みもなく恐れ貰い物が賢者なのです知恵があり学ぶところが多く忍耐強く戒めを守るそのような立派な聖者良き人と人とよく親しむことです彼らとともにやることは常に楽しくまた愚かなものと合わないならば心は常に楽しいものです愚かな者と共に歩めば長い道のりにわたって心の由来は晴れず愚かな者と共に進めば常に辛い思いをするでしょう旅に出てもしも自分より優れた人か自分と同等の人に出会わなかったのならむしろきっぱりと一人でお行きなさいおろからもろを道連れにしてはなりませんはいここで止めますなるほども心が穏やかで恨みも持たずまた知恵があってもそれを奢らずさらに忍耐強く自制できる人こそが賢者であるということでしたこれはシンプルに言えば煩悩を消し去った人あるいは自分が煩悩を持っていることを自覚している人のことを意味しています一方で愚者というのは真理を心得ず自分が煩悩に囚われているという自覚がない人あるいは心理を目指し煩悩に対する自覚があっても自分は賢者だと思い込んでいる人のことを言いますその上で打ったは誰とでも仲良くするのではなく賢者と交流し頃から人とは距離を置くべきことを強調していますつまり自分の心を穏やかに保っていたいのなら普段からそういう人と一緒にいるべきであり逆に自分の心が苦しくなるような人には近づいても行けないし付き合ってもいけないというわけですさらりブッタは自分の心をコントロールすることの難しさとその大切さについて次のように解いています心は動揺しざわめき制御し難いものですしかし聡明な人は弓職人が家をまっすぐに整えるようにその心を鎮めます心は極めて捉えがたくかるがるとざわめき欲するがままに赴きますその心をおさめるのは良いことです制御された心には安楽がもたらされるでしょうなるほど確かに人間は思い出したくないことを思い出したり考えたくないことを深く考え込んでしまったりするものですおそらく皆さんもそれによって本来やるべきことに集中できなかったとかなかなか寝付けなかったとかそういったご経験があるのではないでしょうかまたこうした制御しがたい心をおさめることができれば安楽がもたらされるとありましたがこの状態は涅槃寂静と呼ばれる心安らかな境地のことを指していますねはん寂静に至ることは簡単なことではありませんが大前提として先ほど触れた三つの教えを理解しておく必要があると言われています一つはこの世の一切は苦しみであるという心理一切皆苦もう一つがあらゆる頃は移り変わるという心理諸行無常そして全ての物事はそれ自体ではなく関係の中で成り立っているという心理諸法無我これら三つの真理をきちんと理解すれば悟りを得て涅槃寂静に至るというわけです今あげたよ さあというわけで三つめのテーマ心を整える合理的な方法に進んでいきたいと思いますでは行きましょう他人の過失を探し求め常に駆り立てる人は煩悩の汚れが増えていくでしょう他人の過ちを見るのではありません他人のしたことしなかったことを見るのでもありませんあなたはただ自分がしたこと自分がしなかったことだけを見れば良いのですまず自分を正しく整え次に他人を教えることですそして他人に教える通りに自分でも行うのです自分をよく整えたものこそ他人を整えることでしょうはいこれ食べます確かに他人の過ちや失敗ばかりに注目してしまうと次第に相手のことを嫌いになったり憎んだりして徐々に自分の心も不安定になってしまうものですこの問題に対しブッタは自分がしたことを自分がしなかったことを見なさいと大変シンプルな解決策を提示していました自分の言葉自分の行動はあれで本当に良かったのか自分は自分がなすべきことを精一杯やれたのかもしやれてないのだとしたらそれはなぜなのかこのように自分自身に目を向け自らに問いかけることが大切であるというわけですさらにブッタは次のように続けば大きな国汚染度語るよりも聞いて心の寝る曲を一つ聞く方が優れていますの駅な国よりなるし合戦があっても聞いて心の寝る子様一つ聞く方が優れています戦場において百万人に勝つよりも唯だ一つの自己に克つものこそじつに最上の勝利者なのですはいこれ食べますなるほど要するに無駄なことを1000回やるよりも自分の目的にかなった事を一つやりましょうというお話ですこういった物事の本質を突く単純明快な言葉から打ったの合理的な思考が伺います仕事偽を趣味にせよ多くの物事に取り組むと自分はこんなに頑張ったんだとそれだけで気分が良くなるものですしかしその満足感や高揚感が本来の目的やより効果的な手段の存在を忘れさせる可能性もあるのですまた仏陀は自分に打ち勝てる守ろう最上の勝利者としましたが物事の勝敗についても興味深い考えを示しています勝利すれば恨みが起こり敗北すれば苦しみに悩まされます勝敗を捨て去ったものが安らぎの境地へと向かうのですなるほど勝ち負けにこだわっている状態というのは誰かよりも上の立場でいたいとか評価されていたいとかいわゆる承認欲求に支配されていることを意味していますもちろん上昇志向を持つことは決して悪いことではありませんしかしあまりにも勝ちとか負けとか上とか下といった尺度ばかりに執着していると恨み嫉妬怒り悲しみといった感情がずっとついて回るので徐々に生きることがなくなってしまいますとだからそういった勝敗も執着の捨てたってあなたのなすべきつとめに集中してくださいとそうすれば安らぎの境地に近づくことができるはずだというわけです一方で打ったは安らぎの境地から遠ざかってしまう人の特徴について次のように述べています恥じなくても良い事を恥恥ずべきことを恥じない人々はよこしまな見解を抱いて悪い所へ赴くでしょう恐れなくても良いことに恐れを抱き恐れなければならぬことを恐れない人々はよこしまな見解を抱いて悪い所へ赴くでしょう避けなければならぬことを避けなくて良いと思い避けてはならぬことを避けても良いと考える人々はよこしまな見解を抱いて悪い所へ赴くでしょうはいここで止めますよこしまな見解を抱いて悪い所へ赴くとありましたここで言う悪いところというのは地獄のことをさしているのですが要するに八正道から大きく外れることの怖さについて語っているわけです八正道とは煩悩を消滅させるやつの道のことでその中の一つに証券という言葉がありますこれは文字通り正しくものを見ることであり具体的には客観的かつ合理的に偏りなく物事を見ることを意味していますところが人は想像だけで善悪を判断したりその場にふさわしくない不適切な言動をしたり自分の都合で物事を捻じ曲げて解釈したり証券に基づかないことをついやってしまうものなのですそこで打ったは自己中心的なものの見方ではなく客観的で合理的なものの見方を身につけましょうと説いたわけですそのためにはよこしまな見解を抱いている人ではなく今挙げたような要素を日常的に意識して生活している善良な人と親しむことが大切だと言えますそうすることによって私たちは自分が話す言葉も自分の行動も自分の習慣最寄を というわけでブッダの真理の言葉以上でございますいかがでしたでしょうかシンプルな言葉の中にいくつかハッとさせられるような気づきがあったのではないでしょうかこのチャンネルで仏教をメインで取り扱ったのは初めてだったのでいつもより情報量が多くなってしまいました一回で消化しきれる内容ではありませんのでまた気が向いた時に何回か観ていただきたいなと思いますまた確認照会しましたショーペンハウアーやマークトゥエインの動画を見ていただくと今回の話とのつながりが見えてきてより理解が深まりますので是非概要欄からチェックしてみてくださいこの動画が面白かった参考になったということは高評価コメントなどいただけますと嬉しいですまたチャンネル登録もよろしくお願いいたしますではまた次の動画でお会いしましょうありがとうございました